
区別と差別
時には大切な区別も
いきすぎた区別 することのない区別は
結果として 差別となる
最近違和感を感じていること。
人種差別・格差差別・男女差別・民族差別・・・・・
上げればきりがないほどの差別があります。
もちろん、あってはならない差別はあると思いますが、全ての人が同じ意見ではないということにも目を向けなければならないと感じてます。
先日、とある動画を見ました。
黒人女性に白人女性がインタビューしている動画です。
内容は
白人警官が黒人を殺害してしまうことが続いていることに対して意見を求めるインタビューでした。
それに対して黒人女性が言っていたのが、
「黒人が黒人を殺すことだってある。黒人が白人を殺すこともある。白人が白人を殺すことも。なぜ白人が黒人を殺したときだけ取り上げるの?ここは自由の国。わたしは差別なんて受けてない。そうしているのはあなたたちよ!」
ざっくりとはこんな感じでした。実際はBLMの活動、レイシストに関してなどにも言及してました。
メディアが望んでいた答えは
「なぜ白人だけ命が優遇され、黒人の命は粗末にされるの?」
おそらくこんな答えを待っていたのではないでしょうか。
メディアがわざわざ取り上げることで生み出す差別。
私たちの情報源はTVから得ている方がまだまだ大多数です。
でもそのメディアによって作り上げられている思想があると言うことも知っておく必要があると思うのです。
一人親家庭だけが大変ではない
コロナによる減収で、政府が行う資金援助。
これこそがまさに区別から差別を生むのではないでしょうか?

こんな風に区別することで、心には「いつも一人親ばかり優遇される」という負の思いが渦巻いてきてしまいます。
昔々の日本人は「調和」を大切にしていたと言います。
むしろ「調和」しかないほどに。
自分の所有物という概念がないから、食事を分けるのはあたりまえ。
困っていたら手をさしのべるのも当たり前。
いつの頃からか「所有」や「格差」が生まれ、そこから差別も始まりました。
私が助けなくても大丈夫でしょ?
本来はなかった感情、いつのまにか作り出されてしまったのかもしれません。
その意図は・・・まぁいろいろ置いときまして・・・。
大切なのは、本来の自分の核となる感情に目を向け、自分はどう思っているのか、自分はどうしたいのかという、自分本位の気持ちを見つめることだと思うのです。
一方だけの情報にとらわれず、四方八方を見渡して、中心にいる自分の気持ちを一番に。
一人一人がそれに気づき、本質に目が覚めたとき、世の中は本当に平和で豊かになっていくのではないでしょうか。
私は日本に生まれ日本で育ちましたので、日本という国が大好きです。
ですが、いまその気持ちさえも抑えつけられつつあります。
誰の物でもない自分の心を大切に。自分大好き!最高!
心の浄化、脳の浄化、本来は自分でセルフコントロールできる物ですが、誰かの手に頼るのも時には大切です。
月に一度の体メンテナンスで不要物の強制リセット!
ぜひぜひお任せ下さい。